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Tashoishi 2

止まらない円安。それに伴う物価高。拡がる格差を認めず、自国を称揚する政権。少子化。人手不足。不足した生産性を埋めるように現れたAI。Uber Eats。タイミー。このような環境で“人間”という存在は徹底的に“平均化”され、代替可能な存在として、今の環境に均されている。

シンギュラリティという言葉がとっくに消え失せた中、死者を出しても、なおリアリティショーが制作され続けているのは、人間の違いを暴き、嘲笑うような露悪さが、もはや人間が“道具”と化した社会には存在しないからなのか。

では、現代の日本社会をテーマにした『Tashoishi 2』は音楽を通して、それをどう眼差すのか。

日本独自の文化である新卒一斉採用をテーマとした「Syukatsu Process」は資本主義的な自己実現・コミットメントが我々を加速させる、その構造の気味の悪さを浮かび上がらせる。そして、自己実現・コミットメントを我々に語りかけるのもまた、AIによる生成音声だ。(筆者注: Tasho Ishiさん本人から連絡を頂きましたが、今回の作品には一切AIによる生成音声は使用されておらず、実在する人物の声を録音したものとのことです。お詫びして訂正致します。)

本作品におけるシングル的な存在として早くからリリースされていた「Collapse Roppongihills」は資本主義的都市のモチーフとして屹立する“六本木ヒルズ”を“パラパラ”を使って、戯画し、文字通り崩壊する様を描こうとしている。

日本社会というのは、Tasho Ishiの音楽における明確なテーマの一つだと言えるだろう。Lorenzo Senni主宰の〈Presto?〉からリリースしたアルバム『Dentsu 2060』はその名の通り、日本最大の広告代理店をタイトルに冠し、報道番組で様々な事件や災害に触れた際の切迫感と“第三者”として報道を消費している傍観が交錯しながら、日本社会の“ムード”を引き摺り出す、“怪談”であった。

しかし、引き続き、都市をモチーフとした今作で非常に印象的なのは、前作同様の諧謔性を感じさせながら、それとは裏腹の人間的な熱量の高さが交錯しながら、アルバムが展開されていくことだ。

曲名の通り、リアリティショーからインスパイアされた「The Bachelor」で流れるTakaoのピアノはヒューマニズムを表す要素として、印象的に差し込まれ、共に奏でられるTasho Ishiのメロディは活気に満ちている。先ほど挙げた「Collapse Roppongihills」もまた、PVにて展開されるパラパラとあまりに太い低音が、聴き手の輪郭すらも浮かび上がらせていくようだ。そう、まさにレイヴが人の主体性を取り戻すように。

「みんな」といっしょになって、ぶっ飛んで、無心に踊るということ、レイヴ・カルチャーとはなんともシンプルな話 − 野田努

野田努も語るように、レイヴ・カルチャーとは匿名でありながら、踊りとともに“人間”であることを取り戻す場所であった。マーク・フィッシャーが語るように、それはある面“亡霊”になってしまったのかもしれないが、仮にこのアルバムが、レイヴを再解釈し、そこに新たな意味を重ねる作品であると規定するならば、「Get Out」で描かれる、朝方のどうしようもない景色と、耽美なシンセサイザーに何を思えば良いのか。出社するサラリーマンとすれ違いながら、ディストピアを明確に認識してしまう、朝方の我々に対しての皮肉なのか。いや、私はこの社会の「外側」にはみ出し、人間性を取り戻す、希望の音色であると信じたい。

La Reprise

1) 野田努 – Columns ♯1:レイヴ・カルチャーの思い出 (https://www.ele-king.net/columns/010605/)

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